先日、トコトコラジオで「哀しみのボート」のカバーを歌いました。今は大好きな曲ですが、「哀しみのボート」が発売された当初、私はこの曲より『永遠の少女』の中に収録されている「samui yoru」という曲の方が好きでした(笑)。詩の世界観がピンと来なかったような気がします。若かったからかな?・・・(笑)
それが時間が経って、私も良いおばさんという年になり、身の回りでいろんなことが起きると、人の生死とか、もう会えなくなってしまうことについて直面するようになりました。
一緒に時間を過ごすことはとても幸せで暖かいことですね。幸せになりたい・・・ですものね。
でも、この詞の世界では
「私の幸せは、あなたと一緒に哀しみを生きて行く運命を背負っていること」
だと語りかけます。
小さい頃の私の夢は
”好きな人の夢を一緒に叶えていく人生を送ること”
でした。たぶん、前世はそんな人生だったのでしょう。
もう20数年前、ユーミンのラジオ番組にある女性からの投稿ハガキが読まれました。
「主人が突然リストラされ、なかなか仕事が決まらず、収入がない日々が続き、電気が止まってしまったことがありました・・・でも、確かに大変なんだけれど、毎日過ごすのが精一杯なのに、主人と一緒にいると思うと幸せすら感じます。今、一緒に生きてるんだなって。」
という内容のお手紙でした。
それを聞いていたら、涙がぽろぽろぽろぽろ出て来てしまったんです。
なんだか、とっても懐かしくて・・・。
「あ〜、私もこういう人生を送りたかったんだな」
と。
一緒に乗りこえたいと思っても、男性はかっこつけたいものでしょう?いいところしか見せたがらない。何か、お土産を持っていかないと堂々と自信をもってその人の前に立っていられない、って。
でもね、
実はその男性が思っている”かっこよさ”は、かっこ悪かったりするんですよ。こちらから見ると誠実とはほど遠いとさえ思えてしまいます。
そこを、その男性が思っている”かっこ悪さ”を一緒に生きて行くことができたら、実はそれが本当にかっこいい生き方なのかもしれません。
ゑり音